1978年8月、当時19歳だった曽我ひとみさんは46歳だった母親のミヨシさんとともに佐渡市の自宅近くの店で買い物をした帰りに北朝鮮に拉致されました。
曽我さんは2002年に帰国を果たしましたが、ミヨシさんの行方は今もわかっておらず、28日、92歳の誕生日を迎えました。
曽我さんはNHKの取材に文書で回答を寄せ母への思いなどをつづるとともにミヨシさんが拉致される前によく身につけていた青い着物やスカートなどを見せてくれました。
青い着物はミヨシさん自身がつくったものだったということで曽我さんは、「母の誕生日や私の誕生日、母に会いたいとき、心配でたまらなくなるときに見ます。残された母の着物や洋服を着た姿が見たいので、少しでも早く帰ってきてほしいと願いながら見ています」とつづりました。
また、曽我さんが帰国後に見つけたというオレンジ色と黄色の新しい着物は曽我さんの成人式のために準備してくれていたものと思われ「母はどんな思いでこの着物を用意したのだろうと思った瞬間、込み上げるものがあり涙が次々とあふれて止まりませんでした。母の優しさ、愛情が詰まったこの着物は、私の宝物の一つとなりました」などとつづっています。
そして「とにかく母には、元気でいてほしい。日本に帰ることを諦めないでいてほしい」とつづったうえで、日本政府に対し「まずは日朝間の話し合いの場を用意し、拉致被害者全員の帰国を実現するべく交渉してほしいと切望しています」と1日も早い拉致問題の解決を求めました。