キエフ・ルーシは9世紀末から13世紀にかけて、今のウクライナやロシアなどにまたがる地域にあった国です。
その中心的な都市だったのが、今のウクライナの首都キーウ(キエフ)でした。
12世紀に編さんされた『原初年代記』という歴史書の伝説によると、東スラブ人のポリャーネ氏族の3兄弟、キー、シチェク、ホリフとその妹が町をつくって、一番上の兄の名を取ってキーウ(キエフ)と名付けたそうです。これが今のウクライナの首都にもなっているキーウの始まりだとされています。 その後、実質的に国を作ったのは北欧から海を渡ってきたバイキングで、オレフ(ロシア語名オレーグ)という人物が創始者でした。882年にキエフ公となったオレフは首都をキーウに移しキエフ・ルーシを建国しました。
また、ヴォロディーミルの息子の「ヤロスラフ」(在位1019~1054)は内政や外交に優れた才能を発揮し「賢公」とも呼ばれた存在です。現在は世界文化遺産にも登録されている聖ソフィア大聖堂を建設しました。
例えば、12世紀までにフランスに運ばれた絹織物は「ルーシ物」と呼ばれるほどで、貿易が盛んでした。これに伴い都市も発達し、領土の全人口の13%から15%ほどが都市に住んでいたと推計されています。
また、キリスト教国となることで、ビザンツ帝国を中心とした「文明国の共同体」の一員に認められ、ヨーロッパ各国との婚姻政策などの外交面でも役に立っていたと考えられます。
まず国の内部で制度が変わり、各地を治める地方の貴族が力を持ち始め、バラバラに動くようになった結果、公国全体の君主「大公」の力は低下していったと考えられます。 またヨーロッパやその周辺の勢力図が外部要因によって変化すると、キーウを通過する交易路の重要性が低下し、国の繁栄をもたらしていた経済の停滞を招いたと推察されます。 モンゴルの侵攻で1240年に首都キーウが陥落すると、キエフ・ルーシは事実上崩壊します。オレフが建国してからおよそ350年後のことでした。
こうしたことがキーウとモスクワの力関係が逆転するターニングポイントになったと考えられます。
この公国は、キエフ・ルーシ崩壊後も1世紀にわたって現在のウクライナの西部で栄え、今の西部の主要都市のリビウもこのときに町が建設されています。 ウクライナの歴史家の1人は、ハーリチ・ヴォルイニ公国が今のウクライナの人口の9割が住む地域を支配していたとして「最初のウクライナ国家」だとしています。 《ここまでが黒川さんの話です》
去年7月の論文では、ロシアとウクライナがともにキエフ・ルーシにルーツを持つとして両国は「兄弟」であり「一つの民族」と主張しています。 この中でプーチン大統領はロシアとウクライナは「精神的、人間的、文化的なつながりは数百年にわたって築き上げられた」として、両国民の一体性を強調しています。その結び付きの始まりこそキエフ・ルーシであり、「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は皆、かつてヨーロッパ最大の国家であった古代ルーシの子孫」と述べています。 また論文では、キエフ・ルーシは滅亡後、モスクワを中心とする東側とポーランド・リトアニアの支配下に置かれた西側に分かれたものの、17世紀に「モスクワが再統一の中心となって国家としての古代ルーシの伝統を受け継ぐことを定めた」とロシア側の正統性を強調しています。
黒川さんはこう説明しています。 「さきほど指摘したように、キエフ・ルーシは滅亡後、西ウクライナに栄えたハーリチ・ヴォルイニ公国に継承されたという考えがあります。『最初のウクライナ国家』とも呼ばれるこの公国の系譜が現在のウクライナまでつながるとされています。そのため、ウクライナ側は“自分たちこそキエフ・ルーシの正統な継承者だ”と主張するのです」 「したがって、ウクライナはロシアの一地方などではなく、1000年以上前からの栄光の歴史を引き継ぐ国だと。一方のモスクワはこそキエフ・ルーシの一地方(東北地方)に過ぎず、民族も言語も違い、ロシア帝国やソビエト連邦に至っては非常に強い中央集権制でそのシステムは全く異なる、というのがウクライナ側の歴史の考え方ですね」 プーチン大統領の主張には、他の歴史研究者からも疑問の声もあがっています。
そのうえで岡部教授は「ウクライナからみると“ロシアがルーシの名前を盗んだ”というんです。プーチン大統領は“キエフ・ルーシは自分たちの歴史だから自分たちのものだ、だから起源を取り返せ”というわけですが、それは起源の論争が侵略と拡大の理屈に使われているわけです。ウクライナ側からすると全く逆の解釈ですので、当然受け入れられないということになります」と話しています。 「キエフ・ルーシは誰のものか」 1000年前の国に起源を求める歴史論争は、今もまだ現実の政治の中に影を落としているようです。 (ウクライナの歴史については【詳しく】のシリーズで数回にわたってお伝えする予定です。次回は「コサック」を取り上げます。)
そもそもキエフ・ルーシの成り立ちは?
栄えたのはいつ?
どうして栄えたの?
なぜキリスト教を取り入れたの?
“栄光の国”がなぜ滅んだ?
モスクワが力を持ったのはなぜ?
キエフ・ルーシは崩壊後はどうなったの?
プーチン大統領の考えは
「キエフ・ルーシは誰のものか」
いったい、どういう国なのか。元駐ウクライナ大使で『物語 ウクライナの歴史』の著者の黒川祐次さんに、キエフ・ルーシの歴史について話を聞きました。
プーチン大統領がこだわる「キエフ・ルーシ」とは?