手記で、幸美さんは「あの日から私の時は止まり、未来も希望も失われてしまいました。息をするのも苦しい毎日でした。朝目覚めたら全て夢であってほしいと、いまも思い続けています」と、今の心境を語っています。
まつりさんについては、「困難な境遇にあっても絶望せず諦めないで生きてきた」と振り返り、「電通に入ってからも、期待に応えようと手を抜くことなく仕事を続けたのだと思います。その結果、正常な判断ができないほどに追い詰められたのでしょう。あの時私が会社を辞めるようにもっと強く言えば良かった。母親なのにどうして娘を助けられなかったのか。後悔しかありません」と苦しい胸のうちを明かしています。
そして、「まつりの死によって、世の中が大きく動いています。日本の働き方を変えることに影響を与えているとしたら、それは、まつり自身の力かもしれないと思います。でも、まつりは、生きて社会に貢献できることを目指していたのです。そう思うと悲しくて悔しくてなりません」とつづっています。
電通に対しては、「決して見せかけではなく、本当の改革、労働環境の改革を実行してもらいたいと思います。役員や管理職の方々は、まつりの死に対して、心から反省をして、二度と犠牲者が出ないよう、決意していただきたいと思います」と訴え、「日本の働く人全ての人の意識が変わって欲しいと思います」と結んでいます。
入社わずか9か月後に自殺
高橋まつりさんが亡くなったのは去年の12月25日、クリスマスの日でした。大学を卒業後、去年4月に電通に入社してわずか9か月後のことでした。
まつりさんは静岡県の高校を卒業後、平成22年に東京大学に入学しました。大学では文学部で哲学を学び、中国にも留学したほか、メディア関係の仕事に興味を持ち、週刊誌でアルバイトをしてインターネットに配信する動画に出演していました。
電通に就職が決まった際には、「日本のトップの企業で国を動かすようなさまざまなコンテンツの作成に関わり、自分の能力を発揮して社会に貢献したい」と母親の幸美さんに話すなど、希望に満ちていたということです。
しかし、インターネットの広告を担当する部署に配属され、10月に本採用になると連日、長時間の残業が続き、幸美さんには「こんなにつらいとは思わなかった。今週10時間しか寝ていない」などと話していたということです。当時、ツイッターには「死にたいと思いながらこんなストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」とか「死んだ方がよっぽど幸福なんじゃないか」などとつづっています。
そして、去年の12月25日、クリスマスの朝に、幸美さんに「大好きで、大切なお母さん。さようなら、ありがとう、人生も仕事も全てがつらいです。自分を責めないでね、最高のお母さんだから」とメールを送り、住んでいた社員寮から飛び降りて命を絶ちました。
電通は職場環境の改善に取り組む
一連の問題を受けて電通は、社長や執行役員で作る「電通労働環境改革本部」を発足させ、職場環境の改善に取り組んでいます。
夜10時以降の深夜勤務を原則、禁止し、残業時間の上限を月5時間減らしたほか、社員の健康に配慮した勤務管理を行う担当者を各部署に配置し、社員に年間10日の有給休暇の取得を義務づけることにしています。
また、「取り組んだら『放すな』、殺されても放すな」などのことばが記されている社員の心得「鬼十則」の社員手帳への掲載も取りやめました。
電通は「今後も『業務量の適正化』、『組織運営のあり方と各種制度の見直し』、『企業文化の再定義』に関する施策の検討を重ねていく」としています。
電通に対する捜査進む
高橋まつりさん(当時24)が去年、自殺したことは、ことし9月、長時間労働が原因の労災と認められました。電通では3年前に当時30歳で亡くなった男性社員もことしに入り過労による労災が認められました。さらに、おととしと去年、大阪の関西支社と東京本社が社員に違法な長時間の残業をさせていたとして相次いで是正勧告を受けていたことも明らかになりました。
こうした問題を受けて厚生労働省は、先月、労働基準法違反の疑いで電通の本社や3つの支社を一斉に捜索するなど捜査を進めています。社員の勤務記録などを押収し、勤務時間の実際より少なく見せかける過少申告が行われていた疑いがあると見て調べるとともに、電通の幹部などから事情を聴くことにしています。