逮捕されたのは、東京・新宿区の東京女子医科大学の元理事長、岩本絹子容疑者(78)です。
警視庁によりますと岩本元理事長は、新宿区にあるキャンパスの施設の建設をめぐり、大学の非常勤職員の肩書をもつ1級建築士の口座に2020年2月までの複数回にわたって実態のないアドバイザー業務への報酬として大学から資金を振り込ませ、大学に1億1700万円の損害を与えたとして、背任の疑いが持たれています。
2019年に大学トップの理事長に就任していましたが、不正な支出をした疑いがあるとして大学関係者が刑事告発し、警視庁が去年3月、大学の本部や元理事長の自宅などを一斉に捜索しました。
捜索で押収した財務資料を分析し、関係者から事情聴取するなどして資金の流れを調べた結果、建築士の口座に振り込まれた資金の多くが元理事長に還流していたとみられることがわかったということです。
警視庁は多額の資金が大学から支出された詳しい経緯や還流した現金の使いみちなど、大学トップが関わった資金の流れの全容解明を進めるとともに、建築士や現金の還流に関わったとみられる大学の元職員についても任意で調べる方針です。
岩本氏は去年8月に開かれた大学の臨時の理事会で、理事長を解任されていました。
記者解説「パズルのような難しい捜査だった」
国内有数の私立医大への強制捜査から10か月。警視庁は大学元トップの逮捕に踏み切りました。
大学では11年前、鎮静剤を誤って長時間投与された2歳の男の子が亡くなり、補助金が減額されるなど、厳しい経営状況に置かれました。
逮捕された岩本氏はその年に副理事長に就任しました。以降、経営の立て直しをはかるため、徹底した経費削減をいわばトップダウンで推し進めて大きな権限を掌握していたとされますが、今回の事件では、その元理事長みずからが大学から資金を流出させていた疑いがもたれています。
警視庁の幹部は「元理事長への現金の還流は、口座を通しておらず、証拠の欠片を拾い集めるパズルのような難しい捜査だった」と話しています。
大学の混乱が続く中、医療への影響を懸念する声もあがっています。これまで指摘されてきた大学の不透明な資金の流れについて元理事長がどこまで語り、解明につながるのかが注目されます。
強制捜査10か月後のトップ逮捕
東京女子医大のトップが関わる不正に捜査のメスが入ったのは去年3月でした。
2019年以降、理事長を務めてきた岩本氏による不正な支出が疑われるとして、大学関係者が刑事告発を行い、告発状を受理した警視庁が去年3月、大学本部や岩本氏の自宅などを一斉に捜索しました。
捜索の容疑は岩本氏の秘書業務を務めるなど側近の1人とされている職員に対し、勤務の実態がないにもかかわらず、大学の同窓会組織から、不正に給与が支払われたというものでした。
警視庁は同窓会組織での給与の不正を捜査の「入り口」として、捜索で押収した財務資料を綿密に分析するとともに多数の大学関係者からの聴取を続けるなど、資金の流れの解明を進めてきました。
そして捜索から10か月。キャンパスの施設建設をめぐる架空のアドバイザー業務に対して報酬を支払わせ、大学に損害を与えた背任容疑で、岩本氏の逮捕に踏み切りました。
医大の名門で相次ぐ混乱
【国内有数の私立医大の名門】
『東京女子医科大学』は、1900年に創立された「東京女医学校」を前身として1952年に開校しました。国内で唯一、女子学生のみを対象に医学教育を行う大学で、医学部や看護学部、大学病院のほか、各地で研究施設などを運営しています。国内有数の私立医大として知られ、事業報告書によりますと、おととし5月1日の時点で、学生数は1300人余り、教職員や研修生があわせておよそ5700人います。
【大学を揺るがしたプロポフォール事件】
東京女子医大では、11年前の2014年、大学病院で手術を受けた2歳の男の子が鎮静剤のプロポフォールを長時間投与されるなどして死亡し、医師2人が業務上過失致死の罪で在宅起訴されるいわゆる「プロポフォール事件」が起きました。鎮静剤のプロポフォールは人工呼吸器を付けて集中治療が行われている子どもへの使用が原則禁止されているにもかかわらず、医師が危険性を認識しないまま多数の子どもに投与していた問題も明らかになりました。翌2015年には、高度な医療を提供する「特定機能病院」の承認が取り消されて補助金が減額され、患者数も減少して大学経営は厳しい状況に置かれました。
【立て直し続く中での混乱】
大学は、2014年に副理事長、2019年に理事長に就任した岩本氏ら経営陣のもと、不採算施設の集約や人件費の削減など、経営の立て直しを進めました。赤字に陥っていた大学の財務状況は、2017年度に黒字に転換し、2019年度にはほぼプロポフォール事件前の2013年度の水準に回復しました。しかし、コロナ禍で財務状況が悪化した2020年、経営陣が「夏のボーナス全額カット」の方針を示した際、看護師数百人が一時、退職の意向を示すなど反発が広がり、同じころ、医師の退職も相次いで人員不足が深刻になるなど課題も顕在化しました。そして去年、大学の不透明な資金の流れについて警視庁が強制捜査に乗り出し、岩本氏が理事長を解任されるなど、混乱が続いてきました。
岩本絹子元理事長とは?
【経営立て直しで白羽の矢】
逮捕された岩本絹子氏とはどんな人物なのか。
東京女子医大の医学部出身で、大学病院や民間病院での勤務などを経て東京・江戸川区に産婦人科クリニックを開業し、2014年に大学の副理事長に就任しました。5年後の2019年に大学トップ、女性としては72年ぶりの理事長に就任しています。
副理事長に就任した2014年は、大学病院で2歳の男の子が鎮静剤を長時間投与されるなどして亡くなった「プロポフォール事件」が起きた年で、大学は厳しい経営状況に置かれていました。岩本氏は就任にあたり、「財務改善と施設整備計画推進を優先課題として業務を遂行したいと思っています。女子医大に勤務するすべての教職員が、現在の厳しい経営環境を理解し、コスト意識を持たなければ財務体質の改善は困難だと思います」などと所信を述べて、経営再建に強い意欲を見せました。
副理事長に加え、法人全体の経営面に責任を負う「経営統括理事」も兼務した岩本氏は、自身直轄の部署である「経営統括部」を通じて不採算施設の統合や、人件費の削減などを推し進めました。プロポフォール事件後に赤字に陥っていた財務状況が3年で黒字に転換するなど、「実績」も評価されました。
NHKの取材に対し、大学関係者の1人は「岩本氏が休日にもみずから車を運転して系列の病院に通うなど、精力的な姿を見ていた。プロポフォール事件後に取り消された特定機能病院の再認可に向けて積極的に働いてくれていると思っていた」などと話しています。
【『一強体制』が不正の背景に】
大学関係者によりますと、岩本氏と経営統括部には、人事や経理、施設の建設設計にまつわる決裁権など、幅広い権限が集中していたということです。2018年以降は、学内のすべての稟議が岩本氏の承認、もしくは、経営統括部の審査を受けることになっていたということです。経営統括部では、岩本氏が経営するクリニックの事務員や、近しい関係者が要職を担っていたということです。
大学が設置した第三者委員会は、岩本氏の『一強体制』ともいえる状況が生まれ、今回の逮捕容疑ともなっている建築士への不透明な報酬の支払いや、勤務実態のない職員への不正な給与の支出など、問題の背景になったと指摘しました。
岩本氏は教職員向けに開かれた学内の説明会で「お金は流用していないし、大学を助けたい気持ちでやっているので、背任的なことをすることは感覚的にありえない」などと述べて、不正の指摘や疑惑について強く否定していましたが、去年8月、第三者委員会の結論を受けて開かれた大学の臨時理事会で、理事長を解任されました。
理事会のチェック機能は?
【機能不全に陥っていた理事会】
「一強」と指摘された体制の一方、今回の事件の建築士への報酬の支出は、理事会の承認も得て行われていました。チェック機能はどうなっていたのでしょうか。
第三者委員会の報告書は、▽理事会に必要な情報が提供されないまま岩本氏の指示で手続きが進められたり、虚偽の説明が行われたりしたケースがあったこと、▽異論を唱えた者に対する報復と疑われる人事が繰り返されていたことなどを指摘しています。
東京女子医大で教授を務めた加茂登志子医師は「大学の心臓部を岩本氏が一手に掌握し、古くからの知り合いなど外から出向してきた人で固めていった。内部監査室が活発に動いて職員の処分が繰り返されるようになり、逆らうと何をされるか分からないという雰囲気があった」などと話しています。
また、別の大学関係者は「夢でも見せられていたかのように、岩本氏のいいなりになっていた。自身の運営方針を疑う意見が出ると、会議の最中に泣き出したり、そもそも議論に持ち込ませないようなそぶりもあった」と語りました。
第三者委員会は報告書の中で、岩本氏が徹底的な経費削減を進める一方、自身への報酬を継続的に増額していたことなどについて「金銭に対する強い執着心が見受けられる」などと異例とも言える厳しい表現で批判しました。そして、理事会のほかのメンバーも声をあげられず、機能不全に陥っていたとして、抜本的な改革が必要だと結論づけています。
医療現場にも負の影響が…
岩本氏の『一強体制』や理事会の機能不全は、経営方針や人事だけでなく、医療現場にも負の影響を与えてきたと大学病院の元幹部は証言しています。
2021年7月、大学病院に国内外から専門の医師を集め、子どもの重症患者に高度な治療を行う『PICU』=小児集中治療室が発足しました。PICUは「プロポフォール事件」の教訓を踏まえ、再発防止を目指す中で立ち上げられましたが、大学病院の関係者によりますと、採算性などを重視する岩本氏の判断のもと、わずか半年後の2022年2月に運用が停止され、事実上閉鎖されたということです。
NHKの取材に答えた大学病院の元幹部は「二度と医療事故を繰り返さないという理念のもとモチベーションの高いスタッフが集まり、高度な技術で救えた命も多く、信頼も得ていたと思う。岩本氏からは『こんなことをしてももうからない』と言われ、何度説明をしても聞いてもらえなかった。多少採算性が悪くてもほかの部門で黒字化を進めながら運営を続けるのが大学病院としての役割だったはずだ」と話しています。
PICUの閉鎖について、大学が設置した第三者委員会は報告書の中で「一部の手続きで必要なりん議が行われず、国への報告にも虚偽の説明が含まれていた」として問題視するとともに、PICUには高い公益性を実現し、収益上も貴重な資産になる可能性があったとして、閉鎖は重大な経営判断の誤りだったと指摘しています。