80年前、沖縄県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦では、全国から集められた兵士や軍属など、沖縄県民以外の6万人を超える人たちも命を落とし、県内には、47都道府県の慰霊塔が建てられ、戦没者の慰霊祭が行われています。
戦後80年のことし最初となる慰霊祭が、最後の激戦地、糸満市の平和祈念公園にある「岩手の塔」の前で、岩手県の主催で行われ、遺族など45人が参列しました。
太平洋戦争では、3万4000人を超える岩手県出身者が命を落とし、このうち沖縄戦では653人が亡くなりました。
慰霊祭では、岩手県遺族連合会の甘竹勝郎会長が「沖縄は、県民まで巻き込んだ最後の決戦場となりました。岩手県が行っている平和の語り部事業を、子や孫へ引き継いでいきたい」と追悼のことばを述べました。
続いて、沖縄戦で父親を亡くした三浦日出子さん(81)が「私たちのような戦争遺児をなくすためにも、戦争はだめだと言い続けたい」と述べました。
参列者は、祭壇に花を手向けて祈りをささげていました。
慰霊祭のあと、三浦さんは「父の遺骨がないので、国によるDNA鑑定に手を挙げましたが、特定には至りませんでした。遺骨収集を続けてほしい」と話していました。
父親を失った千田力さん(84)は「駅で父を見送った記憶だけは鮮明で、思い出すと、いまだに涙が出ます」と話していました。
また、遺族たちは戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」に移動し、名前を指でなぞったり、岩手の水や、りんごを手向けたりして、失った肉親への思いをはせていました。