李克強前首相は共産党のエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団の出身で1999年に当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にトップの書記に就任しました。
その後、遼寧省トップの書記を務めるなど地方でキャリアを積み、2007年の党大会で、現在国家主席の習近平氏とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされました。
2013年から2期にわたり首相を務め、ことし3月に憲法上の規定により任期が切れるのにあわせて、首相を退任しました。
国営の中国中央テレビは李前首相が26日、心臓発作を起こし、応急措置が行われたものの日本時間の27日午前1時10分に上海で死去したと伝えました。
68歳でした。
首相2期務め経済政策担うも 習主席の権力強まる一方で存在感低下
李克強氏は安徽省出身の68歳。
10代後半だった文化大革命の時期には安徽省内の農村での生活を命じられ、農業に従事しました。
その後、1976年に共産党に入党し、文化大革命後には再開された大学入試で名門の北京大学に入学し、法律を学びました。
共産党ではエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団に参加し、1993年からは共青団トップの第1書記を務めました。
同じ共青団出身の胡錦涛前国家主席の信頼が厚いとされていて1999年に当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にはトップの書記に就任しました。
その後も、遼寧省トップの書記を務めるなど地方で順調にキャリアを積みました。そして2007年の党大会で、習近平国家主席とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされました。
2013年からは2期にわたり首相を務め、経済政策全般を担いました。
中国の経済成長が減速する中で構造改革を前面に打ち出す政策を掲げ、李氏の名前にちなんで、「リコノミクス」といわれましたが習主席の権力が強まる一方で李氏の存在感は低下していきました。
李氏はことし3月に憲法上の規定により任期が切れるのにあわせて、首相を退任しました。
北京市民「信頼ができ尊敬」
中国の李克強前首相が死去したことについて、首都・北京の市民からは驚きの声や追悼する声が聞かれました。
このうち50代の会社員の女性は「先ほど、そのニュースを知ったばかりです。まだ68歳なので信じられません」と話していました。
また、80歳の男性は「私たちの共産党のために多くの貢献をしてきた人なので、とても残念です」と感極まった様子で話していました。
40代の会社員の男性は「彼は中国の経済と人々のためにさまざまなことをしてくれました。とても信頼することができ尊敬していました」と話していました。
上海市民「経済発展や生活向上に大きな貢献」
李克強前首相が亡くなったと伝えられている滞在先の上海では、市民の間で驚きを持って受け止められています。
このうち、40代の女性は「朝ニュースで知り、とてもショックです。国にとても大きな貢献をしたと思います」と動揺した様子で話していました。
20代の男性も「とてもショックです。突然のニュースで悲しい。首相として10年間、国の経済発展や人々の生活の向上に大きな貢献をしました。アメリカとの貿易摩擦が激しくなる中、経済成長を維持させることは簡単ではなかったと思います」と話していました。
松野官房長官「日中関係において重要な役割」
松野官房長官は閣議のあとの記者会見で「李克強・前首相は、2018年5月の日中韓首脳会談の際に、わが国を公式訪問されるなど日中関係において重要な役割を果たされた。謹んでご冥福をお祈りするとともに、衷心より哀悼の意を表する」と述べました。
公明 石井幹事長「日中関係に一定の役割果たす」
公明党の石井幹事長は記者会見で「首相だった時に、山口代表が会談しており、私自身も4年前に国土交通大臣として北京で接する機会があった。日中関係にも一定の役割を果たされ、哀悼の意を表したい」と述べました。