第2次世界大戦のとき、日本の外交官の杉原千畝さんはリトアニアで仕事をしていました。杉原さんは、ナチスからリトアニアに逃げてきたユダヤ人のために、日本の政府の命令を守らないで、日本を通るビザを出しました。このビザで、約6000人の命を助けたと言われています。
アメリカのニューヨークで、ナチスとユダヤ人の歴史から学んだことを考えるイベントがありました。このイベントには、杉原千畝さんの息子の伸生さんも招待されました。伸生さんは「父は少しでもユダヤ人の命を助けたいと考えていました。人を愛する気持ちを持って、平和を願っていました」と話しました。
イベントの会場には、ビザで助けられた人やその子どもや孫が170人来ました。参加した女性は「父はビザのおかげでアメリカに来ることができました。父は100歳で亡くなるまで、杉原さんのことを話していました。感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。