決勝戦 接戦を制して金メダル
22歳の鏡選手は決勝でアメリカのケネディ アレクシス・ブレイズ選手と対戦しました。
鏡選手は相手の消極的な姿勢によるペナルティーで1ポイントを先制しましたが、開始2分ほどで相手のタックルで場外に押し出されて1ポイントを奪われ、前半を1対1で折り返しました。
後半は互いに攻撃を仕掛けあう中、残り1分半を切ったところで鏡選手の持ち味の鋭いタックルが決まって2ポイントを奪いました。その後は相手のタックルをうまくかわしてポイントを与えず、鏡選手は3対1で勝って金メダルを獲得しました。
鏡「今までの答え合わせができた」
鏡優翔選手は観客席で応援していた家族や仲間と抱き合い、喜びを分かち合いました。鏡選手は「みんなが涙を流して喜んでくれたことが一番の幸せです。ここに立つことをずっと目指してきたので、全試合、1秒1秒を楽しんでいこうと思っていた。もちろん緊張もしたけど、それも全部楽しんで過ごせた」ととびっきりの笑顔で振り返りました。
そして日本選手で初めて女子の最重量級で金メダルを獲得したことについて「誰も成し遂げていないことを私がこの手でつかめたのは本当にうれしい。今までやってきた選択の答え合わせが今ここでできたかな」とかみしめるように話していました。
そして表彰式後には「けがもたくさんしたし、つらいことをたくさん思い出して、その中でやっとつかみ取った金メダルなので、涙が止まらなかった。家族だけでなくて本当にいろんな方々が支えてくれたおかげで今ここに立てている。感謝の気持ちでいっぱいです」と笑顔で話していました。
女子の最重量級で日本選手として初めて金メダルを獲得したことについては「先輩たちが女子レスリングをずっと作ってきてくれて今があると思っているので、本当に感謝している」と話していました。
銀メダルはアメリカのブレイズ選手。銅メダルはキューバのミライミ デ ラ カリダド・マリン ポトリジェ選手と、コロンビアのタティアナ・レンテリア レンテリア選手でした。
日本選手初 最重量級で金メダル
日本選手がレスリング女子の最も重い階級でメダルを獲得するのは2004年のアテネ大会と2008年の北京大会の72キロ級で浜口京子さんが銅メダルを獲得して以来16年ぶりで、金メダルを獲得するのは初めてです。
パリオリンピックで日本が獲得した金メダルの数はあわせて20個となり、大会前にJOC=日本オリンピック委員会が設定した目標に到達しました。
【解説】「私らしい“かわいい”」で 刻んだ新たな歴史
オリンピックに採用された2004年のアテネ大会以降、日本勢が苦杯をなめさせられてきた女子の最重量級。「私らしい“かわいい”を見せる」と、独特の感性で磨いてきたレスリングで鏡選手がパリで新たな歴史を刻みました。
小学生のころからレスリングを始めた鏡選手。JOC=日本オリンピック委員会が若手の英才教育を行う「エリートアカデミー」で実力を磨き、去年の世界選手権では20年ぶりに最重量級で金メダルを獲得しました。
そして日本では過去誰もなしえていないオリンピック女子最重量級の金メダルを目指して厳しい練習を続けてきました。
その量と質はすさまじく、底抜けに明るく笑顔が印象的な鏡選手でも、心が折れそうになったといいます。
それでも、常に自分を奮い立たせてくれることばがありました。「かわいい」です。
厳しい練習の合間にも「かわいい」と繰り返し口にしてみずからを支えてきました。
そう話し臨んだ、初めてのオリンピック。 パリの舞台でもいつもどおり「カワイイ」の文字が刻まれたマウスピースをつけて観客に手を振って入場しました。 準決勝では試合で使うマットを思わず通り過ぎてしまい「それも私らしい」と笑顔を振りまきましたが、決勝では間違えずにマットへ。 その76キロ級の決勝はパリオリンピック最終日、レスリングの最終種目。 “かわいい”に支えられて磨いた強さを存分に見せ、新たな歴史を刻みました。 浜口京子さん「強い気持ちで…」 オリンピックのレスリング女子で2大会連続で銅メダルを獲得した浜口京子さんは鏡優翔選手が自身と同じ女子の最重量級で日本選手初の金メダルを獲得したことについて「私も優翔ちゃんと一緒に戦っている気持ちで試合を見ていた。決勝では強い気持ちでタックルに入って、すばらしいレスリングと最高の笑顔を見せてくれて本当にうれしかった。今後の最重量級は優翔ちゃんに頼みました」と笑顔でたたえました。 今大会レスリングで日本が過去最多となる8個の金メダルを獲得したことについて「全体的に選手たちが伸び伸びとレスリングをしている姿が印象的で、新たなスターが誕生したと思う。私も改めてレスリングのすばらしさや楽しさを感じることができた。この勢いが子どもたちにもつながっていってほしいし、きっとつながると思います」と話していました。 子ども時代の指導者「小さいころから五輪目指していた」 鏡選手が小学1年生から中学2年生まで練習したクラブがある下野市の市役所には鏡選手を指導した恩師や同級生、それに地元のクラブチームの子どもたちなどおよそ100人が集まりました。 アメリカの選手に対して鏡選手が持ち味の鋭いタックルでポイントを奪うなどすると集まった人たちは手作りのうちわを振ったり応援用のバルーンをたたいたりしながら大きな声援を送りました。そして金メダルを勝ち取った瞬間には会場の人たちは立ち上がって喜びを爆発させ、うれし涙を流す人もいました。 鏡選手と同じクラブでプレーしていた20代の女性は「本当に頑張ったと思うし、すごいということばしか出てきません。オリンピック直前までけがと向き合ってきたのでおめでとうと伝えたいです」と話していました。 鏡選手を指導した経験がある藤田歩さんは「興奮して記憶がないくらいうれしいです。小さいころからオリンピックを目指していたので、とにかくおめでとうと伝えたいし、金メダルを持って早くみんなに報告しに来てほしいです」と話していました。