岐阜県出身の鈴木氏は1958年(昭和33年)に2代目の社長の娘婿として今のスズキに入社しました。
1978年(昭和53年)に4代目の社長に就任し、その翌年、当時の価格で50万円を切る軽自動車をヒットさせます。
また、海外進出に積極的に取り組み、1983年(昭和58年)には日本の自動車メーカーとしてインドでいち早く現地生産に乗り出し、スズキをシェアトップのメーカーに育てました。
会長となった2000年(平成12年)以降はカリスマ的な経営手腕を発揮し、社長になった当時、3000億円台だったスズキの年間の売り上げを3兆円を超えるまでに成長させました。
また、業界内で生き残りを図るためにアメリカのGM=ゼネラルモーターズやドイツのフォルクスワーゲンといった世界的なメーカーとも一時、提携しました。
そして、2017年(平成29年)にトヨタ自動車と業務提携し、その2年後(2019年・令和元年)には資本提携にまで発展させて車の電動化への対応などの道筋をつくりました。
スズキを成長させたあとも、みずから行動し経営判断を行う自分のことを「中小企業のおやじ」と称し、率直な発言や気さくな人柄で親しまれていました。
鈴木氏は2021年(令和3年)6月に会長を退き、相談役となっていましたが、25日、悪性リンパ腫のため、亡くなりました。
94歳でした。
トヨタ 豊田章男会長「憧れの経営者 憧れのおやじさん」
鈴木修氏が亡くなったことを受けて、スズキと提携関係にあるトヨタ自動車の豊田章男会長はコメントを発表しました。
この中で「心よりお悔やみ申しあげます。鈴木修相談役はご自身のことを中小企業のおやじと言われていましたが、私から見れば日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟と、厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。ありがとうございました」などとしています。
浜松市では貢献を評価する声や惜しむ声
スズキが本社を置く静岡県浜松市ではこれまでの貢献を評価する声や惜しむ声が聞かれました。
浜松市に住む女性は「親族がスズキに勤めていますが修さんは頑張って会社を発展させて浜松に貢献してくれて、ありがたいと感じています。十分仕事をされたと思うので、ゆっくり休んでもらいたい」と話していました。
また、浜松市に住む83歳の男性は「浜松の街の発展に尽くしてくれた人であり、優しく思いやりのある人柄だと感じていました。『浜松のためにご苦労さまでした』と伝えたい」と話していました。
世界を舞台にビジネスを展開
鈴木修氏は軽自動車など小さな車を得意とする自動車メーカーのトップとして、世界を舞台にビジネスを展開してきました。
鈴木氏は2005年に放送されたNHKの番組で、みずからの経営スタイルについて「品質がよくて安いものをつくるのがものづくりの基本だ。社長室や会長室ではコストは下がらないので、工場に行って仕事の内容を理解し、アイデアを出す必要がある」と述べ、現場主義を強調しました。
また同じ番組の中で、インド市場をいち早く開拓した経験について聞かれると、「先見の明ということではなく、チャレンジしようという気持ちだった。成功するかしないかはわからないが、インドに出て投資した以上は『やりぬく』『勝ち抜く』を徹底することが大事。すべてがそううまくいくわけではないが、結果としてよかったと思えるようになる」と述べ、“負けん気”の大切さを訴えていました。
さらに、2021年には会長職の退任前に応じたNHKの単独インタビューで、自動車業界の変化にどう対応していくかを聞かれると、「いきなり100%電気自動車にできないが、ステップバイステップで確実に効率よく進めていく必要がある。やればできる。私は、相談役として1歩引いた立場でお手並み拝見」と話して会社のさらなる飛躍に期待を寄せていました。
徹底的にコスト削減「重力と光はタダ」という考え方も
「安くて、よく走る」というスズキのものづくりの象徴と言えるのが、鈴木修氏が社長に就任した翌年の1979年に発売した初代「アルト」です。
当時、軽自動車の新車の販売価格は65万円ほどでしたが、徹底的にコスト削減に取り組み、1台あたり47万円で売り出しました。
標準装備はヒーターのみで、ラジオなどはオプションとしたほか、後部座席の背板にベニヤ板を採用するなど、安全性を確保しながらもコスト削減に徹底的にこだわり、この車種の登場によって、低迷していた軽自動車の市場が復活し、今の地位を確固たるものにしました。
さらに鈴木氏は生産現場にみずから足を運び、ムダを省く車づくりを実現していきます。
その一例が「重力と光はタダ」という考え方で、蛍光灯を設置せずに日光を取り入れて電気代を節約したり、部品の運搬も高いところから低いところに移動させたりして、余計なエネルギーを使わない工場のライン作りに取り組みました。
徹底したコスト削減の取り組みはスズキの競争力となり、会社を大きくする原動力となりました。