世界の諸民族のあいさつを調べてみると、(中略)握手に代表されるような相互的なあいさつはきわめてめずらしいことがよくわかる。それはたいていの社会で、身分や地位や役割がはっきり定まっているからにほかならない。また、毎日の軽いあいさつがおこなわれる社会が少ないというのは、それらの社会では人々はもっぱら家族や親族や部族など所属する社会集団の成員として生きていて、個人としての役割があまりみとめられていないことと関係している。そうした集団内では、物のやりとりなどの際にも、ふつうあいさつはいらないのである。たとえばインドでは家族や友入のあいだではふつう感謝の表現はおこなわれない。かえってタブー視されるのだが、家庭の食卓で塩を手渡してもらっても「ありがとう」という欧米流は、家族が一体になって暮らす社会では、むしろ「他人行儀」なことなのだろう。
日本人もいつのまにか家庭のなかで「ありがとう」をくりかえすようになった。しかも、それは文句なしによい習慣とかんがえられているようだ。それは家族が身を寄せあうようにして生きていた暮らしがすっかり過去のものになり、人間関係が様変わりしたことを如実に物語っている。
(野村雅一「身ぶりとしぐさの入類学」中央公論新社による)
タブー視する:人前で話したり、したりしてはいけないことだと考える
他人行儀:(家族や親しい人に対して)他人に対するように冷たく振る舞うようす
様変わりする:ようすがすっかり変わる
如実に:明らかに