平成3年に陸上自衛隊に入隊し、地上での戦闘などを担う「普通科」の幹部隊員として、北海道の部隊などに配属されてきました。
アメリカ軍との調整などを行う統合幕僚監部の防衛班長や、全国の陸上自衛隊の部隊を一元的に運用する陸上総隊司令部の運用部長など主要なポストを歴任し、先月、同期の隊員の中では最も早く階級が最上位の「陸将」に昇任しました。
第8師団長の着任に際しては「厳しい安全保障環境のなかで戦い方そのものが変化している。変化や進化を意識して、挑戦することを心がけてほしい」と隊員に訓示していました。
また「地域に信頼され、愛される第8師団に育成していきたい」と抱負を語りました。
防衛省幹部の1人は「一見厳しそうではあるが、気さくで周囲への気遣いができ、とても心優しい人でした」と話しています。
職種は、重機を使って陣地の構築などにあたる「施設科」で、新潟県内の部隊の指揮官を務めていたときには、災害派遣の要請を受けて大雪の対応などにあたりました。 防衛大学校ではラグビー部の主将も務めたということで、防衛省幹部の1人は「職種と同じく縁の下の力持ちという印象で、芯が通った人だった。とにかく残念だ」と話しています。
幹部のうち、氏名が公表されているのは、 ▽熊本市に司令部がある第8師団のトップの師団長を務めていた坂本雄一陸将と、 ▽第8師団司令部の庭田徹1等陸佐、 ▽第8師団司令部の神尊皓基3等陸佐、それに ▽宮古島駐屯地の司令で、宮古警備隊の隊長を務めていた伊與田雅一1等陸佐の4人です。 庭田1佐は、師団のナンバー3の幕僚長で、神尊3佐は、防衛警備の計画などを担当する「第3部」と呼ばれる部署で実務を担う防衛班長です。 防衛省関係者によりますと、ヘリコプターにはこのほかに ▽第8師団司令部の幹部2人や、 ▽第8飛行隊の操縦士の幹部2人と整備員の陸曹2人が乗っていたということです。 第8師団は熊本、宮崎、鹿児島の3県の防衛警備や災害派遣などにあたり有事の際には機動的に対応する「機動師団」として沖縄県など南西諸島への展開も想定されていて、今回の事故で中核を担う幹部5人が死亡や行方不明となっています。 坂本陸将は20日時点で死亡が確認されていませんでしたが、陸上自衛隊は21日付けで第8師団長の職を解き後任を充てました。 また、宮古警備隊長も、南西諸島防衛の中核を担う幹部で伊與田1佐は行方不明となっていますが、同じく21日付けで職が解かれました。 陸上自衛隊は2人の交代の理由について、安全保障環境や捜索状況などを考慮して総合的に判断したとしています。
庭田1等陸佐について 防衛省幹部「芯が通った人」
ヘリに乗っていた10人 8人は幹部