また、北海道の鈴木直道知事は「被害者やその家族が体験した悲しみや苦しみが二度と繰り返されないよう国や自治体、地域と連携し、知床はもとより道内を訪れる人が安心できるような取り組みを全力で進めていく」と述べました。
このあと参列者は、1人ずつ会場内の献花台に白い花を手向けて亡くなった20人を弔い、まだ見つかっていない6人の発見を願いました。
式の最後には地元の観光事業者が「安全の誓い」を行い、知床小型観光船協議会の神尾昇勝会長は「協議会として事故の原因を真剣に考え、安全意識を高めるため、自主ルールを策定した。事故を風化させないために一人一人が気を引き締め、事業の存続するかぎり教訓として生かす。命を守る行動を最優先に、安全な知床を目指すことを誓う」と述べました。
犠牲者を悼むため旭川市から訪れたという50代の女性は、ウトロ港でこのサイレンを聞き、海に向かって手を合わせていました。 女性は「亡くなった方にどうか安らかに眠ってほしいと手を合わせました。冷たい海の底にいる行方不明者を早く見つけて家族の元に返してあげてほしいです」と話していました。
沈没現場に近い半島の沿岸部では冬の間、捜索が中断されていましたが、第1管区海上保安本部と警察は22日から合同での捜索を再開しました。 捜索2日目の23日もヘリコプターを使った上空からの捜索が行われています。 また、半島東側の羅臼港では午前8時半ごろに捜索隊のメンバー10人余りが集まり、3隻の小型ボートに乗り込んで出発していきました。 このあと、天候の状況を見ながら捜索地点まで移動し、海岸線に沿って岩陰を確認したり浅瀬で潜水したりして行方不明者の手がかりを捜すということです。
半島沿岸部での集中捜索は、24日も行われる予定です。
斜里町役場に加えて、知床観光の拠点の、ウトロの道の駅にも献花台が設けられ、午前中から訪れた人たちが花やお菓子を供えて犠牲者を悼んでいます。 毎月23日に献花台を訪れているという斜里町の70代の女性は「家族のことを思うと気持ちをことばにできません。1年がたっても常に心は重く、切ないです。早く全員が家族の元へ帰ってほしいと思いますし、一歩でも前に進んでほしい」と涙ながらに話しました。 また、斜里町に住む60代男性は「見つかっていない人もいて苦しい気持ちです。身に着けていたものだけでも早く見つかってほしい。知床は観光や漁業の町なので、事故があったことはとても悔しいですし、一生かかっても忘れることはできません」と話していました。 斜里町ウトロの献花台は23日午後5時まで設置されています。
このうち、被害者弁護団の団長を務める山田廣弁護士は「ウトロに来なければ家族の気持ちをしっかり受け止められないと思い、4人で献花し、港で手も合わせた。家族にとっては苦もんの日々が続いているので、弁護団として引き続き家族に寄り添った支援をしていきたい」と話していました。
桜井さんは「きのうもご家族と話をしましたが『真実を知りたい』と皆さん言っていました。見つかっていない6人、そして家族のためにも、5月の連休に捜索に行きたいです」とことばを詰まらせながら話しました。 また、1年前の事故を振り返って「知床に暗い影を落とした日でもあります。二度と同じような事故を起こさないようにしていかなければと思います」と話していました。
献花に訪れたのは、斜里町で旅館の従業員をしている杉浦登一さんです。 勤務先の旅館は事故が起きた当時、運航会社の桂田精一社長が経営していました。 そのため、当時は全国各地から駆けつけた乗客家族たちの宿泊施設として使用され、杉浦さんもできるかぎりのことをしたいという思いから、心配そうに海辺の様子を見に行く家族たちの送迎などにあたったということです。 乗客家族たちが地元に戻ったあとも、毎月23日に欠かさず犠牲者への祈りをささげているほか、家族たちに町内の様子を伝えるなど交流を続けてきました。 あの日から1年となる23日、杉浦さんは道の駅に設けられた献花台を訪れ、事故が起きたとみられる午後1時すぎにサイレンが鳴らされると深々と頭を下げて黙とうしていました。 杉浦さんは献花台に花を手向け、手を合わせたあと「亡くなった方に哀悼の意を表するとともに、まだ見つかってない方が早く発見されるよう願いを込めて祈りました。非力ではありますが、これからもできるかぎりご家族を支えていくことが自分たちの使命だと思っています」と話していました。
追悼式会場には運航会社社長が贈った花も
斜里町内では消防署のサイレンに合わせて祈り
沈没現場に近い半島沿岸部では行方不明者を集中捜索
地元には犠牲者を悼む献花台設置
被害者弁護団 山田団長「引き続き家族に寄り添った支援を」
捜索ボランティア「5月の連休に捜索に行きたい」
運航会社社長が経営していた旅館従業員も献花