1992年、当時天皇皇后だった上皇ご夫妻の初めての中国訪問が検討されていましたが、この年の2月、中国は沖縄県の尖閣諸島を初めて自国の領土と明記した「領海法」を制定しました。
日本政府は「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と抗議し、自民党内からも、中国訪問に反対意見が相次ぎました。
20日公開された外交文書では、こうした中、ときの宮沢総理大臣が4月、橋本中国大使に対し「党内や国民の間に亀裂が生ずるような形で実施したくない」と慎重な姿勢を示していたことがうかがえます。
その後、日本を訪れた中国の江沢民総書記が宮沢総理大臣に対し、中国訪問を決断するよう迫りました。
その翌日には両国の外相が東京で秘密裏に会談し、訪問の実現に向けて協議していたことも明らかになりました。
この中で渡辺外務大臣は「最も残念に思うのは尖閣諸島の問題だ。最終結論を得るまでに今しばらく時間をもらいたい」と伝えました。
これに対し中国の銭其シン※外相は「冷却期間をおき、検討していくこととしたい」と応じ、両者は訪問実現のための環境を整えていくことで一致しました。
その後、外務官僚らの働きかけもあって自民党内の反対論は徐々に収まり、中国訪問はこの年の10月、実現しました。
日中の外交関係に詳しい北海道大学大学院の城山英巳教授は「事の性質上、秘密外交が徹底して行われていたという印象だ。領海法を撤回させるよりも、訪中に向けた環境づくりを優先していると解釈できる」と話しています。
※「シン」は「深」のさんずいが「王へん」
外交文書とは
外務省は作成から30年以上が経過した公文書のうち、歴史上、特に意義があり、公開しても外交関係に支障がなく、国民の関心も高いと判断した文書を、毎年1回公開しています。
今回公開された外交文書は、1992年に作成された6518ページで、合わせて17のファイルに収められています。
このうち、およそ半分は
▼1992年10月に当時天皇皇后だった上皇ご夫妻が初めて中国を訪問されるまでの経緯などを記したものです。
また
▼1992年1月にアメリカのブッシュ大統領が来日し、宮沢総理大臣と会談した際の記録もあります。
この中には極秘扱いとされていた公電も含まれている一方、現在も外務省の情報源となっている人物の名前など、外交交渉への影響があると考えられる部分などは一部が黒塗りになっています。
公開された文書は、外務省のホームページに20日から掲載されるほか、東京 港区にある外交史料館では原本を閲覧することができます。
1992年の中国訪問とは
1992年の10月23日から28日にかけて、当時天皇皇后だった上皇ご夫妻は初めて中国を訪問されました。
初日の23日の夜には北京で楊尚昆国家主席が主催した晩さん会に出席し「両国の関係の永きにわたる歴史において、わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」という、おことばを述べられました。
滞在中、北京、西安、上海の3都市を訪れ、万里の長城や故宮博物院などを見学されました。
上海では沿道に多くの市民が集まり、熱烈な歓迎を受けられました。中国は、1978年に最高実力者の※トウ小平氏が来日し、昭和天皇と会談したあとから訪問を要請し、その後も繰り返し求めて、日中国交正常化から20年の節目となる1992年に実現しました。
当時の中国は、1989年の天安門事件をきっかけに国際社会から孤立し、西側諸国から制裁が科されていました。
中国としては天皇の中国訪問を制裁解除や西側との交流再開の突破口にしたいという思惑もあったとみられています。
※トウは登におおざと。