また、アメリカ側の遺族団体の代表、ノーマン・スミスさんは「ここで目にしている和解は、日米間の歴史的な友情の揺るぎない土台となるものだ」と述べました。
このあと献花が行われ、全員で黙とうして祈りをささげました。
そして、日本陸軍の司令部があった地下ごうや、激しい戦闘が行われた摺鉢山などを見て回りました。
小笠原諸島の硫黄島では、太平洋戦争末期の昭和20年、日本軍とアメリカ軍の間で激しい戦闘が行われ、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が犠牲になりました。
ことしの日米合同の追悼式は、日本側の遺族や両国の政府関係者、それに新型コロナの影響でここ3年間は出席を見合わせていたアメリカ側の遺族など、合わせておよそ200人が参列しました。
また、アメリカ側の遺族団体の代表、ノーマン・スミスさんは「ここで目にしている和解は、日米間の歴史的な友情の揺るぎない土台となるものだ」と述べました。
このあと献花が行われ、全員で黙とうして祈りをささげました。
そして、日本陸軍の司令部があった地下ごうや、激しい戦闘が行われた摺鉢山などを見て回りました。