車いすテニスの
第一人者として、すべての
四大大会とパラリンピックで
優勝する「
生涯ゴールデンスラム」を
達成し、
先月、
現役引退を
表明した、
国枝慎吾さんが、
都内で
記者会見を
開き、「ウィンブルドンの
優勝が
決まったあと、
芝生の
上でのことばが『
これで
引退だな』だった。
その後、『
十分やりきったな』というのが
口癖のように
出るようになった」
などと、
引退の
きっかけを
明かしたうえで、「
最高の
テニス人生を
送れた」と
笑顔で
現役生活を
振り返りました。
国枝さんは7日午後2時ごろから、都内でおよそ180人の報道陣を前に、スーツ姿で記者会見に臨みました。
国枝さんは冒頭のあいさつで、「東京パラリンピックが終わって、引退についてずっと考えていたが、ウィンブルドンの優勝が決まったあと、チームの仲間と抱き合ったときに、芝生の上でのことばが『これで引退だな』だった。その後、『十分やりきったな』というのが口癖のように出るようになり、そのままテニスをしていいのかという気持ちになって、これはそういうタイミングだなと考えた」と、引退を考えるようになったきっかけを明かしました。
そのうえで「日頃からいちばん近くで支えてくれる妻や、車いすテニスを始めるきっかけを与えてくれた母、天国の父などに、ありがとうと伝えたい。最高のテニス人生を送ることができた」と感謝のことばを述べました。
そして、現役生活の一番の思い出については、おととし、東京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得したときのことをあげ、「それぞれのパラリンピックが僕の中で転機になっていて、東京大会はピリオドだった。すべてのパラリンピックに思い出はあるが、2013年からの8年越しの夢がかなった瞬間は、今でも震えるような感情になるし、一番の集大成になった」と振り返りました。
また、今後については、「日本の車いすテニスのレベルは高く、このスポーツをどう発展させていけるかが楽しみ。去年は国内で満員の観客の中でプレーできたことは、スポーツとして受け入れられたと感じた瞬間だった。これからを託せる選手たちもいるので、そういった選手をサポートしていきたいし、大会にも関わっていきたい」と話しました。
国民栄誉賞が検討されていることについては、「車いすテニスや自分のやってきたことが評価されたことを本当に光栄に思う」と話しました。
38歳の国枝さんは、長年、世界の車いすテニス界をリードしてきた第一人者で、四大大会のシングルスでは歴代最多となる28回の優勝を誇るなど、前人未踏の記録を次々と打ちたててきました。
パラリンピックには2004年のアテネ大会から5大会連続で出場し、おととしの東京大会で通算4つ目となる金メダルを獲得したほか、去年、長年の悲願だったウィンブルドン選手権を制して、すべての四大大会とパラリンピックで優勝する「生涯ゴールデンスラム」を達成しました。
国枝さんは先月22日、世界ランキング1位のまま、自身のSNSで現役引退を表明していました。
記者会見の詳細
7
日に
行われた
国枝さんの
記者会見の
詳細です。
ファーストリテイリング 柳井正会長兼社長がエール
会見にはユニクロを
展開するファーストリテイリングの
柳井正会長兼社長が
同席しました。
柳井正会長兼社長は「少しさみしくなるが、プロのアスリートとしてやるべきことはすべてできた。絶妙なタイミングで引退し、新しい国枝慎吾の誕生できょうはめでたい日だ。すばらしい人格で、あらゆるタイトルをとり、世界中の人たちから温かい声援を受けた。国枝選手の強みは勝つことに徹底的にこだわり、絶対にやるがむしゃらさや明るさだ。1人の人間として尊敬している。これからが人生の本番。今後も最大限応援していきたい」とエールを贈りました。
国枝さん「やりきった」
国枝さんは
冒頭のあいさつで「
東京パラリンピックが
終わって
引退について
ずっと考えていたが、ウィンブルドンの
優勝が
決まった
後、チームの
仲間と
抱き合ったときに、
芝生の
上でのことばが『
これで
引退だな』だった。
その後、
十分やりきったなと
口癖のように
出るようになり、
そのままテニスをしていいのかという
気持ちになり、
これはそういう
タイミングだなと
考えた」と
引退を
考え
始めた
きっかけについて
語りました。
「きっかけを与えてくれた母 天国の父などにありがとう」
そのうえで「
日頃からいちばん
近くで
支えて
くれる妻や、
車いすテニスを
始めるきっかけを
与えてくれた
母、
天国の
父などにありがとうと
伝えたい。
また応援してくださる
ファンには
最高の
テニス人生を
送ることができたと
言うことができます」と
感謝のことばを
述べました。
一番の思い出は「東京パラリンピックの金メダル」
現役生活の
一番の
思い出について
聞かれると「
東京パラリンピックの
金メダルだ。
それぞれのパラリンピックが
僕の
中で
転機になっていて
東京大会はピリオドだった。すべてのパラリンピックに
思い出は
あるが2013
年からの8
年越しの
夢がかなった
瞬間は
今でも震えるような
感情に
なるし、
思いのつまったパラリンピックで
一番の
集大成になった」と
振り返りました。
今後について「心の中に秘めておきたい」
そして今後について「
引退後のことを
考えても
現実味がなくお
風呂入ってるときに10
分くらい
考えても
答えは
出なかった。いま2
週間たって
なんとなく自分の
中で
何をしていきたいか
ぼんやりと
出てきたくらいで
まだ心の
中に
秘めておきたい」と
述べました。
「垣根のないスポーツであること知ってもらいたい」
そのうえで「
現役で
何と
戦ってきたかというと
相手や
自分で
もうひとつは
車いすテニスを
社会的に
認めさせたい、スポーツとしていかに
見せるかにこだわってきた。
垣根のない
スポーツだったなと
思う。
それを
テニスをしている
中で
知ってもらいたい
思いが
強くあって
そこの
活動は
続いて
いくのかなと
思っている」と
話しました。
「現状に満足せずにチャレンジし続けてきた」
選手として
自身の
これまでの
成長について
聞かれると「
競技レベルが
年々上がって
いく中で、2
位、3
位だった
時は1
位の
背中をみて
どうやって
勝てばいいかを
考えることができたが、1
位に
なると
誰の
背中も
見えない
難しさを
感じた。
その中でも自分で
課題を
見つけて
いく面白さを
見つけて、
現状に
満足せずにチャレンジし
続けてきたことが1
位でい
続けられた
要因のひとつだと
思う」と
話しました。
「これからを託せる選手 サポートしていきたい」
また、
今後、
日本の
車いすテニス界にどのように
関わりたいかという
質問に対しては「
日本の
車いすテニスの
レベルは
高く、
このスポーツを
どう発展させていけるかが
楽しみ。
去年は
国内で
満員の
観客の
中でプレーできたことは、
スポーツとして
受け入れられたと
感じた
瞬間だった。
これからを
託せる
選手たちもいるので、そういった
選手をサポート
していきたいし、
大会にも
関わっていきたい。
また、
世界の
車いすテニスの
発展を
考えると、
健常者のプロの
大会に
車いすテニスの
部を
作って
いくような
手伝いも
できるかもしれない」と
話しました。
「足跡くっきりと残せた」
2009
年にプロ
転向の
会見を
行った
時に『
子どもに
夢を
持ってほしい』と
話していたことについて「
今も
小田凱
人選手たちがプロ
転向して
活躍している。
自分自身の
その時の
言葉が
実現したと
思える瞬間で、その
時、
思っていた
以上にそういった
足跡をくっきりと
残せたのかなと
思う。
若いプレーヤーが
増えてきていて
どんどん海外にチャレンジしているので、
自分のやってきたことが
影響を
与えることができたかなと
思うとやってきたことに
意味があった」と
話しました。
国民栄誉賞の検討「本当に光栄」
国民栄誉賞が
検討されていることについて「
私にも
先週の
金曜日に
連絡があった。
車いすテニスや
自分のやってきたことが
評価されたことを
本当に光栄に
思う」と
話しました。
また、現役生活に心残りがあるかたずねた質問に対して「成績やタイトルについて何もやり残したことはない。ウィンブルドンのタイトルをとって最高の幸せを感じることができた。ただ、車いすテニスがスポーツにようやく入り込んだ所なのでもう少し僕が若ければなと感じている」と話しました。
「俺は最強だ」弱気の虫を外に飛ばした
現役生活で
苦しい局面を
どう乗り越えたのか
聞かれると「2016
年王者の
看板が
若手に
渡ってしまったときも『
俺は
最強だ』の
言葉を
ラケットからはずそうかと
思ったが、
外した
瞬間、もう
戻れないと
感じたので
最後まで
外すことはなかった。
何度も
何度も
弱気に
なる部分は
あるし、『
俺は
最強だ』と
断言することで
いろいろな
弱気の
虫を
外に
飛ばしていけた。
これもやり
切れたことの1つだ」と
話しました。
子どもたちへ「『最強といえるのか』自問自答を」
子どもたちへの
メッセージを
求められると「
自分自身が
言い
続けてきた『
俺は
最強だ』というのことばの
裏には、
積み重ねが
ある。
日々の
反復練習であってもそういったことばを
言うことで『
こんなもんで
最強といえるのか』という
気持ちになり、
練習のクオリティが
上がってくる。
自分自身に
問いながら
練習に
向き合ってほしい」と
話しました。
「東京大会でようやくスポーツとしての手応えあった」
「アテネパラリンピックで
金メダルをとってもスポーツ
欄にのらない
時期もあった。
どうにかスポーツとして
扱ってもらいたい。
車いすテニスを通してこんなにおもしろいんだ、
予想以上にエキサイトする
スポーツだという
舞台に
持っていかないといけないと
思っていた。パラリンピックも
共生社会の
実現のためと
言われるが、まずは
スポーツとして
感動や
興奮を
与えるものでないと
そこにつながらない。
スポーツとしてというこだわりは、
相当強くプレーしていた。
東京大会でようやく
スポーツとしての
手応えがあった」と
振り返りました。
「若い選手に純粋にスポーツとしての土台用意できてよかった」
そのうえで
去年の
調子のよさについて「
去年グランドスラム3
勝して
なぜ調子がよかったかというと
これまではスポーツとして
皆さんの
目を
変えたいというところにプレッシャー
感じていたが、
去年は
それを1
回も
感じずにプレーできた。ようやく
純粋に
テニスができて
相手と
向きあえるようになって
これからの
若い選手に
純粋に
スポーツとしての
土台という
環境を
用意できてよかった」と
話していました。
「みんなが車いすテニス知ってくれている 本当に変わった」
車いすテニスを始めたころを振り返り「競技を始めた11歳のときはパラリンピックの存在も知らなかった。当時はバスケットボールがブームになっていたが、近くにチームがなく、テニスが母の趣味でコートに連れて行かれてこの競技に出会った。今はみんながパラリンピックや車いすテニスの存在を知ってくれている。28年間で本当に変わったなと感じる」と語りました。
芥川賞作家 佐藤厚志さんに聞く 虚構とリアルの間で
東日本大震災をテーマにした「荒地の家族」で芥川賞を受賞した仙台市出身の書店員、佐藤厚志さん(41)。津波で仕事道具をさらわれた主人公が、震災の2年後に妻を病気で亡くし、喪失感を抱えながら、生活をたてなおそうともがく姿を描きました。なぜ今、震災をテーマに作品を描いたのか今後、震災とどう向き合っていくのか震災から12年となることし3月、佐藤厚志さんにNHKの番組取材で聞きました。(NHK仙台放送局記者 伊藤奨)
Source: NHK
Mar 20, 2023 11:03
大阪 吹田の交番襲撃事件 2審は無罪に “1審判断に誤り”
4年前、大阪 吹田市の交番で警察官を包丁で襲って拳銃を奪ったとして、強盗殺人未遂などの罪に問われた36歳の被告に対し、2審の大阪高等裁判所は、懲役12年とした1審判決を取り消し、無罪を言い渡しました。裁判で弁護側は責任能力がなかった可能性があると主張していました。
Source: NHK
Mar 20, 2023 08:03
「袴田事件」検察が特別抗告を断念 再審開始へ
57年前、静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で、死刑が確定した袴田巌さんの再審=裁判のやり直しを認めた東京高等裁判所の決定について、検察は最高裁判所に特別抗告しないことを決めました。これにより死刑判決の確定から40年余りを経て、やり直しの裁判が開かれることになりました。死刑が確定した事件で再審が行われるのは5件目で、過去4件はいずれも無罪が言い渡されています。
Source: NHK
Mar 20, 2023 08:03
藤井聡太六冠 「七冠」達成かかる名人戦に向け 意気込み語る
将棋の八大タイトルの1つ、「棋王戦」を制し6つ目のタイトルを史上最年少で獲得した藤井聡太六冠(20)が会見し、「七冠」達成がかかる来月からの「名人戦」に向けて「読みだけでなく、複雑な局面での判断力が足りないと感じるので、課題を意識していい将棋を指したい」と意気込みを語りました。
Source: NHK
Mar 20, 2023 04:03
NY州の銀行 シグネチャーバンクの預金など一部買収で合意 FDIC
アメリカのFDIC=連邦預金保険公社はニューヨーク州の銀行が今月12日に破綻したシグネチャーバンクの預金と資産の一部を買収することで合意したと発表しました。資産を引き継いでいたFDICに最大で3億ドル、およそ400億円相当が支払われます。
Source: NHK
Mar 20, 2023 04:03
クレディ・スイスをUBSが買収で合意 スイス政府などの支援で
経営不安にさらされているスイスの大手金融グループ「クレディ・スイス」について、同じスイスの金融最大手「UBS」が買収することで合意したと発表しました。買収総額は日本円で4200億円余りになる見通しです。
Source: NHK
Mar 20, 2023 00:03
首相“自由で開かれたインド太平洋推進へ 750億ドル以上投入”
岸田総理大臣は、訪問先のインドで行った講演で「自由で開かれたインド太平洋」の新たな推進計画を明らかにしました。ODA=政府開発援助の拡充などを通じ、2030年までに官民合わせて750億ドル以上の資金をこの地域に投入し、成長を後押しするとしています。
Source: NHK
Nov 9, 1679 20:00
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