カーター氏は、南部ジョージア州のピーナッツ農家から政界に転身し地元の州知事を務めた後、1976年の大統領選挙に民主党から立候補して当選。
翌年の1977年から4年間、アメリカの第39代大統領を務めました。
在任中の1978年には、長年対立していたイスラエルとエジプトの間の平和条約の締結などを取り決めた、いわゆる「キャンプ・デービッド合意」を仲介し、中東和平の実現に力を尽くしました。
また、1979年には、アメリカと中国との間の国交を樹立し、関係正常化を実現させました。
大統領職を退いてからは、1982年にNGOの「カーター・センター」を設立し、各地の紛争の解決や開発途上国の人権状況の改善などに精力的に取り組みました。
そして、1994年には、核開発問題が明るみに出て、アメリカとの間で緊張が高まった北朝鮮を訪れ、当時のキム・イルソン主席と会談し、核開発の凍結と査察の受け入れで合意。
その後の「枠組み」合意の締結に向けた足がかりを築きました。
こうした長年にわたる紛争の平和的な解決や人道支援の取り組みが評価され、2002年にはノーベル平和賞を受賞しました。
カーター氏はアメリカの大統領経験者の中で、史上最高齢となっていましたが、去年2月からはジョージア州の自宅で終末期医療を受けながら家族とともに過ごしていたということで、「カーター・センター」によりますと、現地時間の29日午後、自宅で、家族に見守られながら、亡くなったということです。