JLPT N1 – Reading Exercise 82

#309

建築の設計をやっていると様々な職人に出会う。大小を問わずどの現場でも一人や二人、主役を張れる人がいる。そうした人に出会うのが、現場に通う楽しみのひとつだ。長い時間、図面にばかり接していると、現実を離れて思考が一人歩きすることがよくある。そんな時、彼らからもらう情報がかけがえのないものであることが分かる。我々が作り出す図面は、線で描かれた抽象的な記号に過ぎない。彼らは物に触っている。経験則によって裏付けられた、物に近い、深くて確かな情報を持っている。

図面は人間の頭の中だけで作り出されたものだ。それを現実の建物に移し替えるには、木や鉄やコンクリートといった、物から手によって直接に得られる情報が不可欠だ。頭で生み出されたものは、思いこみや錯誤によって間違うことが多いからだ。

今はコンピューターと情報通信の時代だ。それにともなって、手を動かす機会がどんどん少なくなってきている。建築の設計でもCAD(コンピューター利用設計)化の勢いはすさまじい。しかし、その図面は、設計の全体を把握しにくい。きれい過ぎて、何であれ、すべてうまくいっているように見えてしまう。手を経ずに、頭の中だけで作業が完結してしまっているからだろう。

トレーシングペーパーに鉛筆で苦労をして描かれた旧来の図面は、そこに描く人の感情が入っている。うまくいっていないところは消しゴムで消し、描き直して修正していく。技術的に問題のあるところ、デザイン的にうまくいっていないところほど、線はにじみ、トレーシングペーパーは人の手の脂で汚れてくる。何回も描き直した個所は、しまいには擦り切れて穴が開いてしまうこともある。

描いた当人の自信がなければ、鉛筆の線にもその迷いを見て取ることもできる。慣れてくると、図面上の線から、描いた人の経験的なレベルや人柄さえ分かるようになる。手書きの図面には、すてがたい様々な種類の情報が塗り込められている。均質な図面の向こう側に人の姿が見えにくい分、CADでは大きなリスクを見落とす可能性もある。

手から遠いコンピューターの出現によって、リスクの所在をかぎ取ることが、旧来の経験側では難しくなってきている。これは設計に限ったことではないだろう。今や情報通信とコンピューターはあらゆる分野に浸透し、社会全体を変えつつある。頭から生み出されたものが暴走している。リスクの所在が、より巨大で、見えにくくなった。どこかでそれを、生身の身体を持つ人間の側に引き戻す必要がある。手から得られる情報は、効率は悪いが、現実の世界をまさぐって得られるものだ。その人の身体だけにとどまる固有に情報といってもよい。忘れられつつある手の行き場を考えるべきだろう。

(内藤廣『建築のはじまりに向かって』による

Try It Out!
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そうした人に出会うのが、現場に通う楽しみのひとつだとあるが、なぜか。
1. 職人から得る情報で自分のやり方の正しさが確かめられるから
2. 職人たちの経験に基づいた信頼できる情報が得られるから
3. 様々な職人たちから建築設計の多様性が学べるから
4. 経験豊かな職人たちの仕事ぶりが見られるから
2
鉛筆で描かれた図面について、筆者はどのように述べているか。
1. 設計の過程や描いた人に関する情報が得られる。
2. 経験を積んで設計に自信のある人にしか描けない。
3. 細部は分かりにくいが、全体は把握しやすい。
4. 情報を読み取りにくいが、描いた人の感情がこもっている。
3
筆者は、コンピューターが社会にどのような影響を与えたと述べているか。
1. 多くの情報の中から必要な情報を選び出しにくくなった。
2. リスクの高い様々な種類の情報が氾濫するようになった。
3. これまでに得られた経験則が社会で必要とされなくなった。
4. どこにどのようなリスクが潜んでいるか把握しにくくなった。
4
この文章で筆者が最も言いたいことは何か。
1. コンピューター化によるリスクを経験則によって回避すべきだ。
2. コンピューター化による効率重視の風潮を改めるべきだ。
3. 手によってなされる仕事の伝統を守っていくべきだ。
4. 手によってなされる仕事の価値を再認識すべきだ。