年齢というのは、相手を理解する上での「1」重要なキーワードだと、わたしは思っている。
同じく、自分を理解してもらう上での重要なキーワードでもある。
「同じ世代だったんですね。じゃあ、あれ、ご存じでしょ~」
ということもあれば、
「へえ、十歳違うと、やっぱり考え方が異なってくるものですねえ」
ということもあるだろう。
それにわたしは、「2」自分の年齢を恥じたりしていない。若くして亡くなる人もいるというのに、わたしはいま現在で半世紀もの年月を生きることができた。いやなこともいいこともいっぱいあったが、そのどれもが、かけがえのないわたしの人生、一年たりとも否定したりごまかしたりしたくはない。
しかし、かなりの文化人ではあっても、女性の中には年齢を公にしたがらない方がけっこういらっしゃるようだ。あるシンポジウムに参加した時、パンフレットのパネラー紹介で、わたしのところだけ年齢がなかった。他のパネラーは男性で、全員、ちゃんと年齢が記されている。どうしてでしょうと問い合わせると、「3」女性の方は年齢を入れないでほしいとおっしゃる方が多いので、と言われた。つまり、勝手に気遣って、わたしだけ年齢を伏せてくださったとうわけだ。よけいなお世話である。ひとこと、どうしますかと尋ねてほしかったのにと、「4」かえって腹がたった。
(山崎洋子「隼齢は堂々と1コにしよう」「笑顔』1999年2月号―保健同人社による)
かけがえのない:他に代えられない、大切な
シンポジウム:ある問題についての意見や研究結果の発表会
パネラー:シンポジウムなどの講師・発言者