JLPT N1 – Reading Exercise 91

#318

「1」手紙というのが、どうも苦手である。手紙を書く必要に迫られたりすると、とつぜんクシャミがとまらなくなったり、おなかをこわしたりする。

もともと、文章を書くのがいやだ、ということもある。が、それ以上に手紙を書くのがいやなのは、あの形式のせいである。

まず、「拝啓」というのが気に入らない。拝啓というのは「つつしんで申し上げる」というイミらしいが、いまどきそんなことを知っている人は、あまりいない。イミもわからずに、なぜ「拝啓」なんて書かなければいけないのか、ぼくにはまったく理解できないのだ。

(中略)

ま、いちがいに「形式」がいけないとは言わない。もともと形式というのは、みんなの便利さのためにあるものだ。形式があるからこそ、ぼくたちは「2」余分なことに余計に神経を使わずにすむ。もし、手紙の形式というものがなかったら、ぼくたちは手紙を書くたびに、「どう書き出せばいいだろうか」とか、「こう書いたら失礼にならいだろうか」とか、あれこれこまかいことに気をつかって、書かないうちからクタクタになってしまうかも知れない。

が、そういう形式の効用は十分認めたうえで、なおいまの手紙の形式は死んでいる、とぼくは思う。で、それがぼくたちの首やからだに巻きつき、ぼくたちの手紙を窒息状態に追いこんでいると思う。形式をちゃんとこなせばこなすほど、手紙からどんどん生気が失われていくのだ。

(天野祐吉「バカだなア」筑摩書房による)

クタクタになる:とても疲れる

Try It Out!
1
「1」手紙というのが、どうも苦手であるとあるが、その一番の理由は何か。
1. 文章を書くのが好きではないから
2. 手紙の形式が好きになれないから
3. 手紙をどう書き出せばいいかわからないから
4. 手紙を書こうとすると体の具合が悪くなるから
2
「2」余分なことに余計に神経を使わずにすむとは、たとえばどんなことか
1. 疲れたり、体の調子が悪くならないように心配しなくてすむこと
2. 書き始めの表現や相手への礼儀を表す言葉を考えなくてすむこと
3. 相手の使う形式に合わせて、自分の手紙の形式を変えなくてすむこと
4. 自分で考えた言葉をどんどん使って、相手に失礼になっても気にしないこと
3
筆者は手紙の形式についてどのように考えているか。
1. 形式はないと不便だが、現在の形式は手紙を書く意欲を奪うものだ。
2. 手紙の形式のもともとの意味を知れば、よい手紙が書けるようになる。
3. 相手に対して失礼な手紙を書きたくないなら、形式は無視した方がよい。
4. 形式があるからこそ、自由に好きなように相手に手紙を書くことができる。