私たち人間によって悪臭というのは危険信号の一つである。もしも、食べ物が腐っているのに悪臭を感じなかったら、大丈夫だと思って食べて、食中毒を起こして死ぬかもしれない。私たちは、鼻という検出器を使って危険がどうかの判断をしている。
悪臭があるかないかは、私たち人間の判断であって、この判断が他の生物にもそのまま当てはまるわけではない。腐った物を屋外に出すと、すぐにキンバエが集まってくるように、腐った物はキンバエには、おそらく良い香りのものと思われる。キンバエにとって良い臭いとか悪い臭いとか、おいしい食べ物とかまずい食べ物とかという判断は、明らかに人間とは異なる。
微生物の中にも、人間と同じようなものをエサにするものもいるし、人間が嫌うものをエサにするものもいる。まずいエサとかおいしいエサという判断は、生物それぞれで異なるというごく常識的なことが、案外理解されていないようである。このために、悪臭物をエサにする微生物は、特殊で変な微生物だという誤解が生まれる。また、悪臭物ばかり与えたのでは、微生物が弱ってしまうのではないかというように考える人が出てきたりする。
物が腐ると悪臭が出るが、きこで出た悪臭は、ある種の微生物には重要なエサであって、この悪臭物でその微生物が育つ。これは、日常的な自然界の営みであり、この営みを担う微生物が自然界に広く分布している。
物質の循環にかかわる多くの生物の作用があって始めて、人間は生命を維持することができるのである。しかし、日常生活においては、その一部しか認識する機会がないために、自然環境について誤解している人が多いようである。このことがさまざまな環境問題の理解の妨げになっているように思える。
(松永是・倉根隆一郎「おもしろい環境汚染浄化のはなし」による)