始発駅に電車が入ってきて、やがてドアが開くと、ホームに並んでいた客たちは目の色を変えて座席になだれ込む。このホームで並ぶという道徳を守らせているものは損得の判断、つまり知性だと言える。ホームのような場所で利己的に振る舞うことによる身の危険を知性はよく知っている。だから、私たちはホームで行儀よく並ぶ。ドアが開くまでは我慢して並ぶのである。
しかし、ホームで並ぶことと電車で席を譲ることとは本質的に違う。自分の利益を考えて席を譲るのではないし、「お年寄りに席を譲りましょう」という指示に従って譲るのでもない。言葉のない何かしらの内なる声に引っ張られ、人は自発的に席を譲るのである。それは共同体に道徳をもたらす元の力であり、この力にはまだ言葉がない。この力は、「人間が生きていくには共同体が要る」という事実から生まれている。この力は潜在的ではあるが、抽象的ではない。そこから知性を越えた「仲間を助けよう」という本能的な欲求が突然生じるのである。群れの中に生まれ落ちた人間という知性動物の倫理の原液が正にここにある。