最寄り駅へと向かう途中、骨董屋さんの前を通る。
その店が越して来たのは十年ほど前だろうか。はっきりした記憶はないのだが、夫のひとことで興味を持った。「毎日どんどん売れる商売じゃないだろうけど、それにしても客が入っているのを見たことないよね」という。確かにいつもひっそりと、主とおぼしき人は店の奥にじっと座っているばかり。宅配便の梱包された包みがたくさん置かれていることから、ネット販売専門の店なのだろうか。夫はその後も「1」不思議がっていた。
それから一年ほどして、ふいに謎が解けた。
面識はないが、時おり読んでいた同世代の女性のブログにこの店を訪ねた話が載っていた。壊れてしまった陶器の修理を頼みに行ったというのである。漆を使った金継ぎ、銀継ぎと呼ばれる手法で損なわれた部分を修復するのだが、その仕上がりは瑕跡ではなく、景色に見立てることができるほど美しい。
思いがけない近所にそんな専門の工房があったとは。新鮮な驚きとともに、「2」ひと筋の光が射し込んで来る思いがした。我が家にも欠けたからといって捨てられず、破片をそっと薄紙に包んだままにしているものがある。祖母が求め、そして壊してしまった十客揃いの小鉢のひとつ。義父が好んで使っていたという杯。これらをもとの形にもどすことができたら、どんなに心和むことだろう。
さっそく店を訪ねてみると、「やあ、いらっしゃい」と主はまるでなじみの客のように迎えてくれた。作業の合間に手をゆるめていることがあって、店の前の人の行き来を眺めている。「だから近所に住んでいる人のことはなんとなくわかるんです。」見ているのはこちらばかりと思ったら大間違いだ。
「3」すっかり気が楽になって、こちらの事情を打ち明けた。
(中略)
買い替えた方が安上りとわかっているものでも、使いつづけた愛着があって手放せないという人が増えている。一方で、高価な器を使うお料理屋さんが、段ボールいっぱい送りつけてくることもある。「前に修理したものがまた新たに壊れてもどってきたり。時々、どういう扱いをしてるのかなと思うことがありますよ。」
形あるものはいずれは壊れる。この道理があるから、歳月を経て伝えられたものに感謝の念も湧くし、儚さと美しさは同義でもある。うっかり手を滑らせる瞬間は誰にもあり、取り返しのつかない事実に直面すると、ため息が出るほど心に重い。
金継ぎはそんな心の痛手までやさしくいたわってくれる伝統の技術だ。もしもの時に助けてくれる人がいると思うと心底有り難い。けれど、だからこそ指先には神経を使ってぞんざいな扱いはすまいと、見事に修復された器を手に思っている。
(青木奈緒『暮しの手帖』2014年10-11月号による)
ブログ:日記形式のウェブサイト
漆を使った金継ぎ、銀継ぎと呼ばれる手法:陶器の修理方法の名称
十客揃いの小鉢:十個揃った小さな器
手をゆるめる:ここでは、休憩する
手を滑らせる:ここでは、落とす
取り返しのつかない:元の状態に戻すことのできない