私たちはどんな時に悩むのだろう。就職を決める時、A社にするかB社にするかで悩む。今交際している彼女と結婚するべきかどうかで悩む。つまり何かの選択場面、決定場面に立たされた時に悩むのである。しかし、若者たちは選ぶことができない。いやその前にそもそも選ぼうとしていない。選ぶ意志がないのである。
ある調査によると、今の若者のうち「どの会杜に就職するか」を「自分で決める」のはわずか18パーセント。約5割が「父・母・友だちの意見で決める」と答えている。「なるようになる」と答えた者も、約3割いる(筒井俊介、修士論文)。
「___1___」驚きなのは「恋人」を「自分で選ぶ」若者が、わずか29パーセントであること。「なるようになる」が4割で一番多い。おそらく合コンか何かでたまたま隣にいた人と、何となくつきあい始めるケースが多いのだろう。
「今つきあっている恋人と結婚するかどうか」を「自分で決める」若者はさらに少ない(22パーセント)。約2割が母の意見、約2割が友だちの意見で決めると答えている。これでは、悩みが生じないのも当然である。
就職と結婚は、人生の二大イベント。よい配偶者に恵まれて、自分を生かせる仕事に就く。これが今も昔も、幸福の二大条件である。この二つを自分で選ばないのなら、たしかに大した悩みも葛藤も生まれてこないだろう。しかしそれで果たして、自分の人生を生きていると言えるだろうか。
けれど、「2」それが今の若者の「当たり前」なのである。
(諸富祥彦「〈むなしさ〉の心理学—-なぜ満たされないのか」による)