翻訳: Riaki Poništ 校正: Reiko Bovee
翻訳: Riaki Poništ 校正: Reiko Bovee
私は甑島の小さな豆腐屋です
昨日も早朝2時半に起きて
豆腐を作ってからフェリーに乗って こちらへやって参りました
豆腐屋と聞くと
古くからの老舗を イメージしてしまいそうなんですけれども
実は私たちの豆腐屋 山下商店は
まだオープンして1年という
まったく新しい お豆腐屋さんです
ではそんな豆腐屋の私が なぜ今日 ここで お話をしているのか
これまでの いくつかの経緯を 色んな出来事を
今日 皆さんにお話ししたいと思います
今から14年前
中学校を卒業した私は
一度ふるさとを離れることになります
甑島には高校がありませんので
翻訳: Riaki Poništ校正: Reiko Bovee
本土で暮らすことを 余儀なくされていましたので
他の仲間たちと同じように 島を離れて生活をしました
見ての通り 私は小柄な体格です
ちょっと ガッチリしてますけども
小さい頃から
いつも誰かと比較されて
いつも少しの劣等感を抱きながら 成長してきました
いつも体育の授業では
「前ならえ」の基準でした
決まっていつも列の先頭でしたので
私には目指す基準がありませんでした
そんな私が 誰かに習うことなく
自分の人生を切り開くこと になったのが
15歳でJRAのジョッキーを 目指したことでした
[競馬学校]
自分の小さな身体を活かして
自分にしかできないことをする
約700名の受験生の中から
私は最後の15名に 残ることができました
島を離れる日
[For the Dream 山下賢太]
私は多くの島民と 後援会の皆様
そして家族や友人たちに 見送られました
二度と ふるさとに戻ることは できないかもしれない
そんな気持ちで 私は船に乗りました
競馬学校の規定で
入学当初 43.0kgを 超えてはいけません
今では考えられませんが
当時の私は 42.9kgという—
また 5.2%という体脂肪率
トップアスリートと ほとんど同じような
そういったコンディションの中で 日々のトレーニングを重ねていました
毎朝4時に起きます
そこから検量をして
競馬学校の一日がスタートします
たったの100gでも
1gでも 越えてはいけない
厳しいプロスポーツの世界です
私は入学当初42.9kgという
ギリギリの状態で入学しましたので
入学して間もない頃から
たったの100g—
たったの100gに
何度も泣かされました
そして何度も何度も 厳しい罰則を受けました
次第に体の問題は 心の問題に変わり
ついに口の中の唾液一滴でさえも 罪悪感を感じるようになりました
私は気がつけば 口の中にティッシュをくわえて
寝たこともありました
でもそれぐらい
15歳の私は夢を叶えたかった
どうしても叶えたかった
でもその夢が叶うことは ありませんでした
競馬学校を辞めた日
私は東京の新宿駅にいました
夕方の帰宅ラッシュで人が溢れる駅
私は人目をはばかることなく
崩れるように泣きました
今でも覚えています
努力は必ずしも 成功へ導いてはくれませんでした
しかし このときに
私は たくさんの人たちの力を借りて
新しいステージに立つことができました
そして自分の人生を取り戻すために
私はふるさとに帰り
キビナゴ漁船の乗組員として
甑島の海で働きました
そして同時に
もう一度 高校生になるために
1つ下の学年と 後輩たちと 机を並べて勉強しました
中学校に通いました
甑島には
塾や教育サービスは整っておりません
そういった中で 勉強する やり直すというときには
中学校に通うほかに ありませんでした
ですので こういった中で たくさんの人たちの支えの中で
私は自分の新しい人生を やり直すことになったのです
そして 2回も中学生を経験しました
もし あのまま 競馬の世界にいたとしたら
私は このような経験が できたでしょうか
2度目の島発ちの日
私は思いました
いつか ふるさとに恩返しをしよう
「ここに あなたがいてよかった」
そんな風に 過去でも未来でもなく
今の自分を必要としてくれる—
そういう大人になりたい そういう仕事をしたい
そんなふうに思いました
皆さんにも失敗した経験や
何か挫折を感じたこと あると思います
例えば その失敗や挫折を 表すマーク—
これが「×」だったとします
どうすればその課題を 乗り越えていけるか
前に進めていけるか
皆さんも悩みますよね
私も悩みました
頭をこう かしげながら 悩むんです
そうするうちに
気がつくと 「×」に見えていたものは
「+」に見えてきませんか
私は自分の失敗や挫折を通じて
そういった「×」は 「+」になるということを
学んできました
さて 16歳の無職だった私は
多くの人々の支えの中で 新しい希望を見いだすことができました
ただ 心の真ん中には ぽっかりと穴が開いた少年でした
高校生になって
私は「あなたは器用貧乏だから 何か得意なことを見つけなさい」とか
「何でもできるっていうのは 何もできないことと同じよ」
そんなふうに 教えられたこともありました
何の希望を見いだすこともできずに 高校生活を過ごしていました
そんな春休み
私は甑島に帰省しました
いつもの道を通って 実家に帰ります
その帰る途中
私が大好きだった港の風景がありました
でも いつもと何かが違います
大きな木の下にあった 2人掛けのベンチ
漁師さんの網小屋と小さな畑
そのすべてが
たった1つの工事によって 何もなくなっていたんです
その風景は私にとって
ふるさとの原風景とも言える 大切な場所でしたので
とてもショックを受けました
木の下で破れた網をつくろう漁師さん
無邪気に戯れる 島の猫
夕方になると 島の人たちが どこからともなく集まってきます
昨日は どこどこの船が大漁だった とか
今日は満月だからキビナゴは 獲れないかもな とか
本当に そういった日常の 時間が流れていました
私は その出来事をきっかけに
「小さくて美しい甑島の風景を いつかは自分が作り出したい」
そんなふうに 思うようになりました
今は 豆腐屋をはじめとする 農業や漁業
デザインや観光ガイド
それから さまざまな 地域商品の開発や
さまざまなイベントも 立ち上げ 企画
同時進行で たくさんのプロジェクトを
9名のスタッフで やっております
そんな中で
なぜ甑島で豆腐屋をしているのか
以前の甑島では 夕方になると
どこどこに行って夕涼みをしたり
生活に必要な井戸の水を汲みに あの場所に行く
そういったことが日常にありました
でも本当は それらを言い訳に
誰かに会いに行く—
そういったことが一番の 楽しみだったような気がします
昔はそういったものが
人と人をつなぐ そういった—
生活の中の言い訳みたいな ものになっていました
それが どんどんどんどん 時代が変わっていく中で
その言い訳がなくなって
誰かと集まったり話をしたり
そういう場所が失われていきました
そういった暮らしの中にある言い訳を
取り戻すことはできないか
甑島はどんどん どんどん 今 人口が減っています
限界集落—
「超」がつくほどの限界集落もあります
そういった中で その言い訳になってくれるもの—
それが一丁の豆腐です
先ほど 15歳でJRAを目指したところから
今 豆腐屋をしているところまで お話してきました
皆さんも もし 何かにぶつかったり
悩んだりするとき
グッと首をかしげてみてください
「×」と思っていたものは 「×」ではなく
自分の未来の 「+」になるかもしれません
そういった中で 今日は皆さんに
3つ お伝えしたいことがあります
どんな未来も 今この瞬間から 始まっているということです
どんな過去も 見方を変えることによって
未来の糧になるということです
そして最後に
様々な判断を迫られたとき
一人になることを恐れないで
自分自身の人生を生きてください
私は自分の失敗や経験から そのようなことを学びました
私の妻です
毎朝2時半に 一緒に起きてくれてます
美味しいです
その3つのことを 皆さんも
どこか心の片隅で 憶えていただけたら幸いです
私も 昨日2時半に起きましたので
今日は もう眠い時間帯に入ってます
(笑)
また明日から 甑島の日常が始まります
こんなふうに前掛けをかけて
豆腐を作ります
続きは甑島でお話ししたいと思います
皆さん どうも ありがとうございました
(拍手)
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